【アンチ】大量の批判と向き合う現代人、好かれる分だけ嫌われる評価経済社会【炎上】

コラム

SNSというものが誰しも利用しているツールの1つとして確立した現代。特に若い人であればあるほど何かしらのSNSを利用している人も多いはずだ。

それと同時に今の現代人は多くの「批判」と向き合わなければならなくなっている。特に顔を出して踊っている「tiktok」なんかでは容姿に対する批判も湯水のごとく飛び交っている。

私も世間ではYouTuberの一人として数えられたりもする。私自身がそう名乗ることはほとんどないが、YouTubeの登録者は11万人、Twitterのフォロワーも1.8万人ほど居る。

実際は、この数以上の人の目に私の意見は届いてしまっている。私の意見に賛同する人もいれば、逆に批判の声を上げる人もいる。だが、私はこの批判の声にメンタルをやられることはほとんど無い。

そんな私のアンチ、批判への概念を今回は書いていこうと思う。

SNSという発信ツール

SNS

20年前ならば2chなどの匿名掲示板で多くの人が意見を交わし、自分が書いた書き込みに批判のレスが来ることも少なくなかった。

しかし、2chは一応は匿名掲示板だ。コテハンを付けなければ匿名の番号の書き込みでしか無い。自分の書き込みに対して自演して賛同意見を書き込んだりすることも出来た。

そんな2chも今や5chとなり、存在価値は20年前に比べてだいぶ落ちている。今は「Twitter」が2chの代わりに議論の場になりやすい。

厄介なことにTwitterは2chよりも匿名性は薄い。本名で登録する必要はないが、一応はハンドルネームをつけてアカウントIDも決めなければならない。ネット上の「個」がそこには存在することになる。

そんな個を特定できてしまうSNSというものが発展したからこそ、批判の声も多くなったと私は思っている。そして、それに病んでしまう人も増えてしまうのはネット上の「個」が固定されてしまうからだろう。

何気ない炎上

炎上

なにげないTwitterのつぶきやき、自分ではなんてことない、ただの日常のつぶやきが炎上するなんてことは日常茶飯事だ。例えばこのツイートを見てほしい。

微笑ましいツイートだと多くの人が感じることだろう。お父さんとお母さん
のハンバーグにちょこんと添えられた子どものハンバーグの写真でしか無い。ツイートした人も別に誰かを攻撃する、批判する目的でツイートしたわけではない。

しかし、こんなツイートですら炎上してしまうのが現代だ。引用RTはとんでもないことになっている。簡単にまとめるとこういうことだ。

・幸せアピールするな
・世の中の妊娠できない女性に配慮しろ

この批判に怖いと感じる人のほうが圧倒的だ。しかし、これが現代だ。炎上させよう、誰かを攻撃しようなんて意図はツイート主にはない。

それなのに、このツイートを見かけた人はこのツイートを「自分に対する攻撃」と受け取って激しく反撃と言う名の批判を飛ばしてくる。これは情報という感想や日常をネットという社会に発信した代償だ。

自己承認欲求がツイートをした人にはあったかもしれない、そんな報酬を受けるための代償が謎の批判の声だ。ノーリスクでメリットを得られることは少ない。リスクは何にでも存在する。

気軽にツイートして、気軽に動画を投稿して、承認欲求やお金を稼ごうというメリットを得ようとした結果のリスクが批判の声とアンチの存在だ。

馬鹿でも使えるSNS

馬鹿

スマートフォンが定着したことによって、以前はパソコンからしか発信できなかった個人の意見が、今では誰にでも発信できるものになっている。極論を言えば「馬鹿」でも「子供」でも発信できてしまう。

これは恐ろしいことだ。
私くらいの世代や少し下のアラサーの人たちはmixiやら個人サイトやらを持っていた人も多いはずだ。今、そんな自分が作ったmixiや個人サイトを多くの人に見てほしいと思うだろうか?

黒歴史だ。恥ずかしい日記、消したい妄想小説etc….ありとあらゆる黒歴史、若さゆえの恥がそこには詰まってるはずだ。そんな20年前に比べて、多くの人が「黒歴史」を簡単に発信できてしまう世の中になっている。

例えばバイトテロやバカッターなんかもそうだ。バイト中にピザの中に鼻くそを入れたり、回転すし屋で醤油差しを舐め回したり。大人の私達から見れば馬鹿げた行為でしかないのだが、子供はそういうことをやる。

おそらく20年前も30年前も似たようなことをしていた人は居たはずだ。しかし、その当時炎上しなかったのは、そんな馬鹿が情報を発信するツールを持っていなかったからだ。

しかし、現代は違う。馬鹿でもポチポチと馬鹿げた行為を投稿できてしまう。結果的に炎上につながってしまう。馬鹿だからこそ投稿する前に「問題になるかも?」ととどまることが出来ない

そもそも発信しなければ炎上しなかっただろう行為だ、発信してしまったがゆえに「炎上」や「謝罪」に追い込まれてしまうこともある。

多かれ少なかれSNSというツールを使ってる以上、私達は誰かに批判されるリスクが有る。馬鹿げた行為をしなくとも、ハンバーグの写真を投稿するだけで叩かれる可能性があるのが現代だ。

誰でもアンチが生まれる時代

怒るおじさん

そんな時代だからこそ、多かれ少なかれアンチは生まれる。SNSというツール、ネットに発信した情報は誰かの目に止まり、それが賞賛や共感を生むこともあれば、同じくらい叩かれる可能性もある。

それが多いか少ないかの違いでしか無い。登録者100万人のYouTuberも、フォロワー100人のTwitterアカウントも結局は同じだ。見てる人の人数の違いでしか無い。批判の声は必ず生まれる。

例えば小学校のクラスを思い出してほしい。どうしても好きになれない同級生、何故か自分につっかかってくる同級生、相容れない同級生は30人もいれば一人は存在するはずだ。

結局、小学校のクラスもネット社会も変わらない。100人いれば100人、自分のことを好きになってくれるとは限らない。

ただ、直接的なアンチの批判の声は心に響いてしまう人もいるはずだ。

アンチの批判に病むだけ損

病む男

そんな声に心が病んでしまうという人は今すぐ情報発信を止めるべきだ。情報を発信して得られるメリットより、心が病んでしまうデメリットのほうが大きすぎる。

ただ、私個人としては「病むだけ損」と思っている。批判する人はあなたの意見を消し去りたい、ツイートや動画を消してもらって、最終的にアカウントが無くなれば満面の笑みを浮かべるだろう。

それはアンチの思う壺だ。私はむしろ、そんなアンチに対しては逆張りしていくのが1番だと思う。

ノーダメージアピールしろといってるわけでもない、逆に傷つきましたとツイートし、フォロワーのファンネルを飛ばしてアンチに攻撃してもらうのも悪手だ。

あなたが変わらず、あなたの意思を貫いて、あなたらしく、発信し続けることがアンチにとっては1番のダメージだ。直接的な言葉で人を傷つける人は、どこかおかしい。精神的な病を抱えてる人の可能性もある。

さっきのハンバーグツイートがいい例だ。おそらく9割の人は微笑ましくツイートを見てるだけだ。中には「幸せそうですね」とリプする人もいるかも知れない。だが、普通はスルーするようなツイートだ。

だが、病んでる人は違う。お子さんが生まれず悩んでる人なのかもしれない。しかし、そんな人に配慮してたら何も発信できなくなる。社会に生きるということは多かれ少なかれ傷つけ合うということだ。

普通の人はある程度、それを「許容」することができる。例えばあなたが好きなアーティストが居たとする、それに対して批判の声を上げてる人が居ても、「あなたはそう思うのね」で終わる人のほうが多いはずだ。

批判の声に更に批判の声を被せることは不毛な争いでしか無い。極論だが、それが大きくなれば戦争につながる。世界から戦争がなくならないように、批判の声もなくなることはない。

そこに傷ついて病んでしまうなら辞めるべきだ。しかし「なにくそ!」と反論したくなる気持ちがあるなら、あなたは情報を発信する人として優秀だ。批判の声を出すアンチはあなたが続ける限り苦しみ続けるだろう。

ここで「いい気味だ」となるならインフルエンサーの資格がある(笑)、アンチに逆張りしていくことで、よりアンチも増え、同時にファンも増える。それが現代社会だ。

アンチとは反対側の自分

もう一人の自分

アンチの批判の声を冷静に見てなぜ自分を批判するのかを冷静に分析する。相手の目線に立つと客観的に「自分」というのを見れるはずだ。それはかなり貴重な意見だ。

例えば私の場合、辛口のレビューを投稿すると「逆張り」や「炎上狙いだ!」といわれることもある。1000件のコメントがあれば、2,3件はその手のコメントも出てくる。

なぜその人はそう思ったのか、私がレビューした作品が大好きで、自分とは違う私の意見に、自分を攻撃されたと思い反論したのだろう。私のレビューのどの部分の、どの言葉にその人は批判されたと感じたのか。

これを冷静に分析すると客観的に自分というものを見ることが出来る。完全なる他者、自分とは違う意見を持つ他者の考えに触れられる機会はなかなかない。

それを次に活かすのか、無視するのかはその時次第だ。批判の声に耳を向けて反省するときも、たまには必要だろう。私の場合、言葉の選び方を間違えたり、強い言い回しになっていたりすることもある。

反省しても、無視しても、私はレビューを投稿することは辞めることはない。1つの生きがい、趣味の1つということもあるが、私がやめて微笑むのはアンチだ。それはなんだか負けたような気分になる。

それは嫌だ。私は負けず嫌いだ。そして私はレビューを、情報を発信することが好きな人だ。そんな私の「好き」という気持ちを奪われる義理はアンチにはない。

HIKAKIN

youtuber

これだけ批判が飛び交う現代だが、逆を言えばあなたの「ファン」を獲得しやすい社会ということでもある。ただの一般人がTiktokに投稿したら何万人もフォロワーが出来るなんてことはざらに起きる社会だ。

YouTuberで1番有名な「HIKAKIN」さんも、10年前までは大量のアンチが存在し、ツイートや動画投稿するたびに誹謗中傷のコメントが飛んできていたらしい。当時も彼のファンは多く居たが、10年経ったら1000万人を超えるYouTuberだ、それだけ彼のファンが居ることになる。

そんなアンチの声に負けず10年以上続けてきたからこそ今の彼がある。批判の声に病み、アンチの声に負けていたら今の彼は居なかったはずだ。アンチの声に負けず、アンチの声を受け続けた結果が今の彼だ。

もちろん炎上系のYouTuberのように9割がアンチコメントなら流石に色々とアウトかもしれないが、1,2割のアンチコメントなら屈するほうが損だ。もしかしたら批判の声が届いているあなたも負けずに発信し続ければ、10年後にはHIKAKINになってるかもしれない。

現代はファンとアンチによる評価社会

評価社会

今の世の中は評価社会だ。誰かに多かれ少なかれ評価され、その数が増えれば増えるほど有名になり、お金も稼ぐことが出来る。どれだけすごいことを成し得たかより、どれだけフォロワーやチャンネル登録者がいるかが、お金につながりやすい社会でもある。

YouTuberがよく「案件」という企業の商品やサービスを紹介する動画を投稿するが、アレはたいてい「チャンネル登録者」でもらえるお金が変わってくる。ぶっちゃけるが、相場は大体、1登録者あたり3円くらいだ。

計算してほしい。登録者10万人なら30万円になる。100万人なら300万、1000万人なら3000万だ。たかが1本の動画でそんなお金を稼げてしまう、それが現代社会だ。

ファンの数とアンチの数がせめぎあって、今のインフルエンサー、現代社会に影響する人の影響力を図っている。そんな時代だからこそ批判の声も増えている。嫌な社会だと思うか、それを利用しようとするかはあなた次第だ。

アンチに対する疑問、好きの反対は嫌い?

アンチの本心

私はこれだけは理解できないのだが、例えば嫌いな誰かが居たとする。HIKAKINでもいい。何かしらが気に食わないと思って批判のコメントをする。

そこまではまだ理解できる、だが、アンチと呼ばれる人は、なぜそこから離れないのか私は疑問でしか無い。ずーっと粘着し続けている。下手したら普通のファンよりもHIKAKINの動画を見てるんじゃ?というアンチ活動に熱心な人も存在する。

下手したら訴えられる可能性もある。名誉毀損で訴えられれば少なくとも10万円、高ければ50万から100万、下手したらもっと大きな金額の賠償金を払うことになる。

それなのに彼らは自分が嫌いな対象を訴えられかねない言葉で叩きつけている。下手したら殺害予告までかましている。私はそれだけが理解できない。私なら嫌いだと思ったら見ないだけだ。

このインフルエンサー時代に、そのインフルエンサーに1番ダメージを与えることはその人を「見ない」ということだ。特にYouTubeなら見てしまえば嫌いなはずの相手に少なからずお金が入る。それなのにアンチは見続ける。

好きの反対は嫌いという言葉がある。その通りなのか、むしろ愛があるのでは?と思うほどアンチ活動に熱心な人もいる。本当に不思議だ。

私はそこまで人に執着しないからこそ、理解できない感情なのかもしれないが、私をずーっと粘着して叩いている人もいる、本当に謎だ。嫌いなら見なければいいのに見続けている。謎でしか無い。どんな感情で私のツイートや動画を細かく見ているのだろうか、あまりにも謎だ。

アンチと呼ばれる人たちも、少なからず愛情があるのかもしれない。好きな子にいたずらし続けてしまう男子小学生のような幼い心を持つ人なのかもしれない。そう思うとなんだか可愛く見えてくるかもしれないが、おそらく気の所為だ。

インターネットは情報の塊

情報だ

そんな人たちの声に病んでやめてしまう方がもったいない。多くの人の情報は、誰かしらの役に立っている。自分が買ったものの良い悪い、そんななにげないつぶやきでさえ誰かの役に立っているはずだ。

誰でも情報を発信できる時代だからこそ、メリットもデメリットも有る。しかし、そんなデメリット、批判の声に負けて誰もが情報を発信しなくなれば、インターネットという情報の集合体は終わる。

私はインターネットが大好きだ。小学4年生から、この情報の荒波に飲まれて今の私がある。ネットがない環境には1週間も耐えられないだろう。そんな情報の海を構築している1つが私達が発信する情報だ。

批判の声に、アンチの声に負けないでほしい。きっとあなたの発信は誰かの役に立っているはずだ。

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